なぜ三姉妹は、腹違いの四女を受け入れたのか

海街メイン

(C)2015吉田秋生・小学館/「海街diary」製作委員会

監督・脚本:是枝裕和
原作:吉田秋生 
配給:東宝、ギャガ
封切 :6月13日(土)より全国ロードショー
公式サイト :http://umimachi.gaga.ne.jp/


ストーリー●
幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)は、
香田家の三姉妹。
幸はしっかりものの看護師、
佳乃は信用金庫に勤務。恋愛体質で、片づけがヘタ。
千佳はオシャレに関心がなく、もっぱら釣りに興じている。
父は愛人をつくって15年前に出奔した。
三女の千佳に、父親の記憶はほとんどない。
母(大竹しのぶ)もまた家を出て、
三人は早くから長女・幸が親代りのようにして生きてきた。
両親がいない鎌倉の古い日本家屋に
三人はずっと住み続けている。
三姉妹の共同生活を見守ってきたのは、大叔母にあたる史代(樹木希林)だ。
そこへ父の訃報が。
出奔時とは違う女性と暮らしていた父の最期をみとったのは、
中学生になるすず(広瀬すず)だった。
産みの母も父も死んでしまったすずが、
血のつながらない義母のもとで暮らすことを気遣い、
幸はすずに「鎌倉に来ないか」と誘う。
史代は反対だ。
自分たち家族を父に捨てさせる原因となった女性の娘を、
なぜ?
しかし幸の決意は固い。
すずは幸の真意を測りかねながらも、新しい世界に飛び出そうとする。
そして四姉妹の生活が始まった。

みどころ●
現代の話だが、描写される鎌倉の古家での穏やかな生活は、
一昔前の昭和の営みに包まれている。
縁側に集い、
庭の梅の木の実をとって梅酒をつけるところ、
ガタピシ音をさせる建て付けの悪い戸を行き来しながら、
お風呂の順番をとりあうところ。
丸いちゃぶ台でご飯を食べるところ。
一見、
のどかな古き良き日本家庭を描いているようでいて、
この家庭は「昭和の標準」から大きく逸脱している。

カンヌ映画祭での上映後、
「立膝をついてご飯をかっこむなど、日本の娘のすることではない」と
その描写を批判する報道があったが、
映画の意図をまったく理解しない意見である。
彼らは親に育てられていない子どもなのだ。
幸は今でも妹たちに「お行儀」をおしえる。
彼女たちが10歳にもならないときから、幸は「お行儀」をおしえてきた。
子どもが、子どもに、「お行儀」をおしえてきたのだ。

おとなの身勝手で、「子ども時代」を奪われた、幸。
でも、「親」はいなくても「家」はあった。

「鎌倉の家」は繭玉となって、
幸を、佳乃を、千佳を、守ってくれてきたのである。

この四姉妹の物語を、市川崑監督の映画「細雪」と並べて評する向きがあるが、
私はむしろ小津安二郎監督の「東京物語」を思い出した。

古き良き「家庭」の幻想を背景に二重写しとなる、
家庭崩壊。
「新しき者」の闖入によって浮き彫りとなる
本当の家族愛のかたち。
四人がそれぞれひっそりと持ち続ける親との思い出の断片が、
ゆっくりと像を結び始める。

静かな映画である。
地味な映画である。
しかし、
四人の若手女優の好演と、
樹木希林の名演、大竹しのぶの怪演によって
七色の織物に仕上がっている。

カンヌでグランプリを取れなかったのはむべなるかな。
ヨーロッパが求める映画とは文法が異なる。
その意味でも、小津映画に似ているかもしれない。

新人・広瀬すずが場面場面でまったく異なる顔を見せるのが印象的。
綾瀬はるかが強さと脆さを抱えながら、仕事も恋愛も家族問題も、
「自分のものさし」を持ってまっすぐに向き合う長女を好演。
長澤まさみはセピア色の「昭和な生き方」に新しい風と色をもたらす。
夏帆は幸が失った子ども時代をそのまま内包する末娘として、
異色の輝きを放っている。

海街サブ1
(C)2015吉田秋生・小学館/「海街diary」製作委員会

菊池史代(三姉妹の大叔母)
(C)2015吉田秋生・小学館/「海街diary」製作委員会

佐々木都(三姉妹の実母)
(C)2015吉田秋生・小学館/「海街diary」製作委員会