仲野マリの気ままにシネマナビ online

投稿誌「Wife」に連載中の「仲野マリの気ままにシネマナビ」がWebの世界に飛び出しました!

2014年12月

「ウーマンリブ」を知っていますか?

何を怖れる
 ©2014「フェミニズムを生きた女たち」をつくる会

企画:田中喜美子
監督:松井久子 
制作:「フェミニズムを生きた女たち」をつくる会
配給:AMGエンタテインメント 
公開: 1月17日(土)~2月6日(金)渋谷シネパレス
    2月7日(土)~2月20日(金)横浜シネマリン
公式HP  http://feminism-documentary.com

ストーリー●
1971年8月、長野県で「第一回リブ合宿」が開催された。
「リブ」とは「ウーマンリブ」の「リブ」。
すると北から南から、
赤ん坊を連れ、幼児を連れて女性たちが次々とやってくる。
その数400人。
小さいヒュッテはあっという間にすし詰め状態となった。
 
‘なぜ女であることが、こんなにも理不尽で窮屈なことなのだろう?’
ただそう思っていた女性たちだ。
「何を話してもいい場所がある。わかってくれる人がいる!」
しかし当時のマスコミは
「ウーマンリブ」「女性解放」を「男の全否定」としてとらえ、
専ら「男勝りの」あるいは「女を捨てた」女性たちのヒステリー行動として
揶揄し、興味本位で取り上げていた。
この映画は、
そうした時代に「女性も1人の人間である」ことを高らかに宣言し、
行動した人々の記録である。
 
みどころ●
今や著書「おひとりさまの老後」などでおなじみの上野千鶴子氏、
女性問題だけでなく、政治・生活一般の評論家として活躍する樋口恵子氏、
アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」館長である
池田恵理子氏、など、など、など。
スクリーンには
この40年の間に女性が個人として耀くために行動した
多くの大先輩たちが次々と登場し、
当時の光景や匂い、思いを語る。

「ウーマンリブ」というと、
当時はほとんどキワモノ扱いで、
学生運動の片隅の女性たちくらいの認識か、
あるいはフリーセックス信奉者のような烙印を押されていた。

しかし彼女たちの言葉に改めて耳を傾けてみると、
そこにあるのはなにがしかの「イデオロギー」ではなく、
産み、育て、生きる、原初的な
「人間としての意志とエネルギー」のみ。
ただ自分の思うように生きたい、
女だからという理由でそれを阻まれたくない、という
一途な思いだった。

若かりし頃の彼女たちの、
高い理想、道を開こうとする行動力、
熱き血潮の生命力は、
先駆者としてまぶしく、驚異的である。

現在は
女性の権利を主張するのは当たり前であるし、
主張する女性を正面切って揶揄する男性も少なくなった。
でも一方で、
解決しなくてはならない問題はたくさん残っている。
彼女たちに託されたバトンを
私たちは取り落とさずに次の世代に渡せるだろうか。

「ウーマンリブ」を知らない人世代にも、
「ウーマンリブ」とは距離をおいてきた人にも、
「ウーマンリブ」を言葉としてしか知らない人たちにも
一度観ていただきたい。
 
NHKで多くの上質なドキュメンタリーをつくった故・松井やより氏が、
組織内でいかに闘ってそれらを世に出して来たかの証言もあり、
今、この時代に生きる私たちにも
行動する勇気と覚悟をもたらす映画となっている。

 *この映画を企画したのは
「わいふ」の編集長を長く務めた田中喜美子氏。
「わいふ」はこの「気ままにシネマナビ」を連載している「Wife」の前身である。

僕の幸せは、僕だけが決められる!

『幸せのありか』メイン (2)
©Trmway Sp.z.o.o Instytucja Filmowa „Silesia Film”, TVP
S.A. Monternia.PL2013

監督・脚本:マチェイ・ピェブシツア

配給:アルシネテラン

封切:12月13日(土)より岩波ホールほか、全国順次公開


ストーリー●
1980年代のポーランド。幼いマテウシュは、重度の身体障害を持つ。
マテウシュの母は治療と回復の可能性を求めて病院を回るが、
意思疎通のできないマテウシュに対し、
医師は「知的障害」「植物状態」と判断、サジを投げる。
そんなマテウシュを、家族は明るく愛情深く育て、
マテウシュは好奇心旺盛、天真爛漫な少年時代を送る。
しかし父親の急死でマテウシュは施設へ。
そこである日、
瞼の動きで意思を伝える方法が試され、
青年マテウシュが「知的障害」ではないことがようやく証明される。
世間の注目を浴び、高等教育への扉が開いたマテウシュだったが、
その実現のためには、
ようやく見つけた「居場所」を諦める必要があった。

解説と見どころ●
主演のダヴィド・オグロドニクは健常者だが、
脳性麻痺を持つマテウシュになりきって見事。
当事者たちとも会い、長期間の準備期間をもって、
完璧なパントマイムとして動きを習熟したという。
まるでドキュメンタリーを見ているような自然な演技を見せてくれる。

障害者物語というと、日本人は「真面目な人の逆境克服」を想像しがちだが、
マテウシュは恋もすればイタズラもし、苛立ったり傷ついたりもする。
自分への差別に憤慨して悪態もつく反面、
逆に自分が知的障害者「なんか」ではない!という
差別の心を持っている。
そこから彼がどのように成長していくかも、
見届けてほしい部分である。

また、
この映画でもっとも魅力的なキャラクターは、
マテウシュの父親だろう。
息子が言葉を発しようが発しまいが、
体が動こうが動くまいが、
パパはいっこうに気にせず、
息子が喜びそうなことをし、
自分の好きな話を子どもに話す。
ポーランドに自由が訪れた日の、花火のシーンは美しくも哀しい。
「世間」の常識にとらわれない父親の存在が
いかにマテウシュの人間形成に必要だったか。
家族のあり方にこそ、この映画の醍醐味があるのではないだろうか。
ほかにも
母親の、息子の生命力を確信して医者の言葉を鵜呑みにしない強さ、
きょうだいの、マテウシュに対する愛、嫉妬、煩わしさなど、
自然体だからこそ共感できる感情に満ちている。

『幸せのありか』サブ2 (2)
©Trmway Sp.z.o.o Instytucja Filmowa „Silesia Film”, TVPS.A. Monternia.PL2013

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